『ライトノベル宣言』の源流を辿る

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・はじめに
・『ライトノベル宣言』について
・KADOKAWAのライトノベルの歴史
・求められたライトノベル像
・角川歴彦氏について
・『ロードス島戦記』の人気
・中高生男子という読者
・角川歴彦氏とライトノベル
・ライトノベルにおけるファンタジーの偏り
・求めた作品像への疑問
・おわりに
・参考文献

はじめに

 埼玉県所沢市にある角川武蔵野ミュージアム。そこにマンガ・ラノベ図書館があり、『ライトノベル宣言』が掲示されている。[1]この『ライトノベル宣言』は、角川歴彦氏が開館によせて残した宣言であるようだ。

 この宣言に対し、名興文庫 相談役 堅洲斗支夜は「30年ほど前に見たことがある」と語っている。だが、インターネットで検索してもそれらしき文章はヒットしない。そのため、ネット上では相談役 堅洲斗支夜の発言を嘘と断定する人が散見された。

 今から30年ほど前となると、1980~1990年代となる。インターネットを利用する個人が大幅に増加したのは2000年代からであり、[2]1980~1990年代は必要な情報を主に雑誌やテレビ、ラジオで収集していた。ネットで検索して該当する文章が出てこないのは当然だろう。

『ライトノベル宣言』はマンガ・ラノベ図書館の開館に合わせて綴られた文章ではなく、過去にあった宣言を焼き直したものなのか?

 振り返ってみると、私自身、学生の頃に『ライトノベル宣言』なる単語を耳にした記憶がある。当時は「大層なことを言うものだ」くらいの認識しかなく、調べてみようとは考えなかった。

 ライトノベルは2011年をピークに市場規模を縮小させ続けている、と言われている。ライトノベルの主要なレーベルはKADOKAWAが独占しており、その影響力は絶大であるだろう。[3]

 歴史を紐解けば、ライトノベルの始まりは角川書店であり、その拡大と共にライトノベル市場は膨らんだ。ライトノベルという枠組みに多大な影響を与えたのはKADOKAWAであるのは間違いない。

 であるならば、角川歴彦氏がよせた『ライトノベル宣言』は、ライトノベルという枠組みを理解するのに重要な位置を占めるのではないだろうか。

 本コラムは以前、名興文庫の公式ブログにてコラム「『ライトノベル』とは何か?」「『ライトノベル』の未来」を執筆した尼宮乙桜が、『ライトノベル宣言』の源流を探ったものである。

 本コラムを作成するにあたり、数多くの文献に当たった。前回コラムを執筆した際〝参考文献の記載がない〟と指摘されたため、今回は末尾に参考文献を記載している。実物に当たりたい方はそちらを参考にしていただき、ご自分の目で確認してもらえたら幸いである。

『ライトノベル宣言』について

 マンガ・ラノベ図書館に掲示されている『ライトノベル宣言』の内容を確認すると、そこには宣言のあった日付は記載されていない。いったいいつ頃書かれたものなのだろうか?

 ヒントとなるのは、『ライトノベル宣言』は角川歴彦氏から発せられたものであるという点と、書かれている内容だろう。

・ヤングアダルトといわれる若者層は、自分が選ぶ小説・文学の登場を渇望していた
・「書き手が読み手と同じ空気を吸っている、時代を共有している」と実感できる特徴がある
・ライトノベルの起源はRPGリプレイから生まれた『ロードス島戦記』である

 角川歴彦氏がどのような考えを持っているのか、その歩みを振り返り、どのような背景でもって『ライトノベル宣言』が書かれたのかを確認してみたいと思う。

 各情報の裏付けを得るため、多くの資料を収集した。可能であれば、かつて書店で掲示されていた広告なども確認したかったのだが、残念ながら広告やチラシ類の保存は基本的に行われることはない。不要になれば処分されるのが通常であり、よほどのことがない限りお目にかかれないだろう。

 それはKADOKAWAがかつて発行していた折り込み広告チラシ『電撃の缶詰』も同様である。『電撃の缶詰』は現在ネットオークションで一部売買されているが、コンプリートした状態で売りに出されているものは見つけられなかった。ライトノベルの歴史を語るにあたり重要な資料になると予想されるため、KADOKAWAには是非内容をまとめた書籍を出版してほしい。

 情報収集にあたり、図書館の司書さんたちに多くの協力を要請した。この場をお借りして感謝申し上げたい。私の無茶な依頼に応えてくださり、ありがとうございました。

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