第一回、錆舟海碧

コラム

 知っている人はよろしく! 初めての人にはざっと自己紹介をしておきましょう。『名興文庫』の相談役を務めさせていただいております者です。

 来歴としては比較的多めの仕事の経験と、複数の会社の役員や代表者を経て、現在は田舎でほぼ隠遁気味に人生のエンドコンテンツを楽しんでいる無職の人間です。しかしながら、私はしばしば人生において人は必ずその能力に見合った展開に至るという『必然性の法則』という概念を説くのですが、この概念のように意外と隠遁とはいかなくなっています。文筆家的な言い方をするなら自分で伏線改修なりフラグ回収をしてしまっている状態でしょう。

 好きな時間に起きて釣りや投網や探索や創作三昧の日々を決め込むつもりで、実際にそのように過ごしておりましたが、いつの間にやら近所にデザインや建築、物件の運用等の仕事が常在するようになり、海に潜っていたら海士や漁師の仲間入り、畑をいじっていたら近隣の町村の人々でもなかなか入れないコミュニティに呼ばれたりと、結局はすべき事の多い日々となっています。何かするにあたって純度の高い『好き』が起こす良い循環を感じる事ばかりですね。

 名興文庫の相談役という立場もその一つとなっており、何か言ってるよりも実際に手足を動かす運びとなり、既に一年半以上となります。文庫の内外もようやく安定してきましたし、語れる話も時間と共に出てきます。また相談役という人間がいかなる考えなのか、月に一、二度発信しておくのが良かろうという判断になりました。

 さて、第一回となる今回は、このコラムのタイトルです。錆舟海碧(私は『せいしゅうかいへき』と呼んでいますが好きに読んでみてください)とは、現在の私の姿勢や生活をとても適切に表現できる造語です。陸に上がった錆びた船と、彼方に広がる青い海と空。何かと海岸に縁のある私にはよく見かける景色であるとともに、自分の人生での大事な事はほぼ終えつつも、彼方の青い海と空を見続け、そしてその水平線の高さは変わる事がない、という情景であり示唆です。

 さて、この造語の情景となる現在の私の価値感や生き方には、それを示唆した気づきがあります。1990年(平成二年)の日本ファンタジーノベル大賞第二回において、『楽園』で優秀賞を獲得した鈴木光司先生が受賞にあたって『小説新潮』に寄稿した文です。既に30年以上の時が流れておりますが、それでも衝撃的な示唆として忘れようもないその内容は、鈴木先生には人生で最も大事な目的として結婚したい女性がいて、その方と結婚したのであとは好きな事をしたく、それが小説だったという内容でした。

 当時、小説を書こうとしていた自分はこの言葉で人生の優先順位を深く考えるようになり、結果としてそれはバブル崩壊から失われた年月を長く辿る世相にも合致しておりました。いわゆる氷河期世代である私がこれを見誤っていたら、とても錆舟海碧などと言っていられない日々が死ぬまで続いていた事でしょう。人生、何が示唆になるかは分からないものです。小説を読もうとして、その寄稿文がいつまでも輝きを放つことになったのですから。

 私が文庫でやっていく事は、そのような輝きを宿す何かを多く世に出す手伝いをする事でもあります。

 そして願わくばこのコラムもまた、誰かにとってそのようなひとかけらにでもなればよいなと思う次第です。今後ともよろしくお願いいたします。

 なお次回は、理想的な小説投稿サイトについて考えるか、AIについてのコラムを予定しています。