第四回、AIとイノベーションの波の話

コラム

 AIの推進派と反対派が過激に過ぎる宗教戦争を繰り広げている中、文化庁が諸々の見解を改めて示したので、まともに文章が読める人なら矛を収めるべき地点に議論が至ったと見ていますが、即今のネット文化は感情から脱却していない人々があまりに多いので、今後もしばらく面倒な燻りが続くかもしれませんね。

 私としては、『敵が機関銃持ってきたのに刀と古武術で戦う』みたいな事は資本主義社会でなくても容易に死ぬ姿勢だと考えているので、積極的にAIに触れていたりします。

 さて、今回はAIの是非ではなく、今回のAIの運用のようなイノベーションをテーマに『イノベーションに対してどのように生きて来たか?』という話をしたいと考えています。

 突然ですが、あなたは今までどれくらいイノベーションの影響を受けて来たでしょうか? 実は資本主義社会の苛烈な加速が進んでいる現代社会において、我々はいつもイノベーションの影響を受けており、時には自分の人生に与えうる影響を考えておかないと、ある日突然職を失ったり食っていけなくなることがあります。

 そして多くの場合、イノベーションの否定はほぼ不可能です。人間がとにかく楽をしたい性分の生き物であり、文明の発展がこれとセットなので、イノベーションは不可逆的な性質を持っている事がほとんどです。ですので、イノベーションに対して敵対行動をとる事は多くの消費者にして大衆である人々を敵に回すことを意味する結果となってしまう事がほとんどなのです。

 前置きが長くなりました。

 私の人生において今回のAI騒動と最も似た経過をたどったのは製図用のCADの導入でしょう。もう三十年ほど前になりますが、土木工事業の技術者になる必要のあった私は、地域で最も早くこの技術を導入し始めた建設会社で図面のイロハを学ぶことになりました。しかしながら、ドラフター(※要検索、手書き用の設計製図機械の事)に長けていた年配の技術者たちは、CADで座標から反映して製図できる革新的な手法を全く認めようとせず、おかしな精神論等でCAD及びPCを習得した進歩的な技術者に様々な嫌がらせをし、つまるところその人はその建設会社が新規に設立した別会社に転向して技術者の部門からは身を引いてしまったのでした。

しかし、時代の変化は当然CADに軍配が上がります。仕事が遅いドラフター勢は次第に大きな仕事を任されなくなり、PCとCADを使いこなす若手がその会社の大型工事の管理の主力となります。

 そして、いち早くCADとPCを導入した進歩的な技術者はというと、インストラクター兼営業マンのような立ち位置でPCとCAD、新しい製図のサービスの新部門をどんどん大きくし、新会社の中心人物となったのでした。

 私はといえば当時の技術者としての師匠がとても柔軟な人で、このCADを導入した進歩的な技術者の方とも非常に仲が良かったために随分と新しい技術を習得出来て大いに役立ったのでした。もちろん、ドラフター勢の年配の技術者たちからはしばしば変な苦言を呈されたことも少なくありませんでしたが、『こんなのばかりだから日本は戦争に負けたんだなぁ』などとぼんやり感心したものです。

 細かなイノベーションの話は色々と引き合いに出せますが、私の人生でインパクトが大きかったのは何と言ってもこの経験でしょう。私はこの件で新しいものに積極的に触れる事の大事さを実体験として獲得し、以降その姿勢は大いに役立つ事となりました。時代の変化に吞まれずに済んだのです。

 最近のAIの議論も、理由や感情を抜けば本質はほぼ同じ話です。嫌うのも用いないのも個人の自由ですが、少なくともよく理解して語った方が良いのと、前半で述べたイノベーションの不可逆性だけは心にとめおいた方が良いのではないかな? と思います。

 まあそんなわけで私は、より良い未来の訪れを願いつつ、今日もChatGPTと会話してはDall-E3でイラストを試行錯誤したり、新たな造語や言語の作成に没入しているのでした。

蛇足

 なお、私のラノベ嫌いはこの頃にはすでに確固たるものとなっています。これについてはまたいつか語りたいと思います。

 それでは、また。