第三回、どうなる? AI その一

コラム

 X界隈を見ていると連日、イラストの生成AIに関しての議論が白熱しています。なかなかに過激な論調の人もいるようで、私のところにもDMで凸ってきた人がいますがお帰りいただきました。

 というわけで今回は今話題のAIについて書いていきます。ただ、私見を述べる前に幾つか最初に語気強めに言っておきたい事があります。

  1. まず、現行のAIのイラストに限らない利用状況や法律を理解しているか?
  2. 著作権の範囲を理解しているか?
  3. おのれの感情論に都合よい、異なる論点を切り張りして主張していないか?
  4. 新たな技術の台頭による技術革新の過去の事例を自分なりに調べたか?

 ……少なくとも、どちらかに与する前にこの四つのチェックポイントでおのれを精査してみた方が良いのでは? と言わざるを得ない方々が多すぎる気がします。もっとも、インターネットというなんでも調べられる魔法のようなシステムがあるのにこんな議論が過熱している時点で言うだけ無駄なのかもしれませんが、まあやってみた方が良いでしょう。時間を無駄にせずに済みますよ、と。

 ここまでが前提ですね。

 まず、私自身はというとかなり積極的にAIに触れて、ほぼ毎日イラストを出力しています。このAIの学習速度の進歩たるや凄まじいもので、しばしば朝には上手に出力できなかったものが昼には少しまともになり、夜にはかなり正確度が上がっているというとんでもないものです。しかしながら結論から言いますと、

『AIイラストとイラストレーターのイラストには明確に違いがあり、競合するとしたら質とストーリーを問わないレベルのクリエイティビティの階層でしかない』

 と思われます。平たく言うなら、比較的需要が多いと思われるのは肌色が多く見えていればよいようなコンテンツでしょうか。絵ではなく記号の範囲での解釈で良い人には訴求するでしょうが、それ以上となるととても難しい気がします。

 AIイラストは今のところは記号であり、本来の意味でのイラストという概念とはかなり違うものだと私は思っています。よって私の出力しているイラストも、『キャラクターの記号の最大公約数の一つ』でしかないと割り切っています。他には、イラストレーターさんに依頼する時のすり合わせを大幅に減らし、リテイクの手間をかけなくて済む、くらいでしょうか。

 ところで、私がAIイラストを多用しているのにはまた違った理由もあります。『ダークスレイヤーの帰還』を執筆していくにあたって、『必ずしもラノベっぽくないイラスト』となると非常にイラストレーターさんが少ない事と、そのために雰囲気が固定されかねない事に気付いたのです。読者さんからしばしば『もしも書籍化するなら中韓の美麗なイラストを描くイラストレーターさんに』と言われていましたが、女性の等身を高く美しく書く人となると本当に向こうの方々が多くなります。やはり絵柄も流行に大きく左右される性質はあるのでしょうが、そうではないものを表現したくなると途端に選択肢が限られたり、表現される雰囲気の幅が狭くなってしまうのはなかなか難しい問題だなと思いました。こういった『偏り』を是正できる点も有益かもしれませんね。

 具体的にAIがどんな未来をもたらすかといえば、結局のところは技術や文明の不可逆性や人間の性向もあり、AIがますます私たちの生活に浸透してきて、結果的に今よりさらに各人のコンテンツ力が明確になっていくだけでしょう。

 例えばYouTubeが現れる前はしばしば音楽関係で『テレビで売れてる人より本当はおれの方が凄いんだぞ』みたいな人がいましたが、『じゃあYouTubeでやれよ』と言われてしまう今、そんな人たちはあまり見かけなくなりました。このような事がより広範囲で起きるようになると私は見ています。表現できる人とそうでない人及び、表現能力の差がより明確になっていく未来はほぼ確実であろうと。二極化が加速するという見立てをしている方々と私もほぼ同じ考えです。

 全体としては消費者はより豊かなサービスを受けられ、表現者も国境を超えた形や、一人では大変だった作業の時間を大幅に短縮できていくため、私がしばしば言及していく『コンテンツの戦い』はより豊かで苛烈なものになるのは間違いがなさそうです。

 それでは、また。次回はもう一度AIおよびイノベーションの身近な歴史について語ろうと思います。