──エンタメとか娯楽の人たちって、何と言うかそれしか摂らないんですよね。食事をし、少しニュースに触れ、あとはその分野だけを追いかける、それで停滞してしまう人が多いんですよ。なぜなんでしょうね?
連日の猛暑が久しぶりに止まった雨の日曜日、皆さんいかがお過ごしだろうか?
冒頭の引用は私が懇意にしている、世界的なアーティストの方のふとした疑問だ。ある暑い日にともに作業をしていた合間に出た疑問であり、私なりの答えを返した話の始まりとなる。
引用の通り、エンタメを追い続けるアーティストも同じような試練にさらされる事が多く、それは単調な生活の積み重ねによって訪れてしまうだろう。特に、エンタメは分野にもよるが必ずファン成長による卒業が伴う。これを止めるには普遍性──ここでいう普遍性とは、時代や流行を超えて価値を持ち続ける要素のことだ──を込めるしかないが、それをするには自らがその人生で普遍性を見出さねばならない。
小説の界隈を見ていても同様で、おそらく不惑あたりで停滞してしまった人たちは、その界隈の仲間の輪で何とか食いつないで生きている人も少なくなく、特に刺激的な、あるいは新しいコンテンツを出せない人が圧倒的に多い。本人たちが一生懸命そのジャンルを履修していても、である。
実はこれは一般職の世界でも類似の現象が見られる。本人や周囲の人々が同類で固まっているから気付かないだけと言える。私の経験の範囲では、『他の事を考えたくないタイプの職人や営業マン』がこれにあたるだろう。私も営業の仕事はそこそこにこなしてきたが、二十代後半から三十代前半に大躍進して伸びた営業マンの中には、四十代になると急に伸びなくなる人が多い。理由は簡単で、人間的な成熟が追い付いていないと、客の方が人を見る目が肥えており、口ばかりでやって来た営業マンは中身がスカスカのどうしようもなく軽い、虚無的な人間に見られがちになって来るのだ。当然、成約どころかクロージングにさえ及ばないことも多くなってくる。こうなると人によってはかなり迷走する。
詐欺的な商売に手を出す営業マンも、このような経過をたどった人がほとんどだ。バブル期には会員権ビジネス等で億単位の仕事をバリバリ取っていたのに、その後伸び悩んで似たような仲間とリフォーム詐欺の仕事などに関わり、民事・あるいは刑事で責任を問われたり、追い詰められて自死した人もいた。
──では、どうしたら停滞は止まるんですかね? 普遍性を身に着けるには?
問いは続く。
結局のところ、自分の足で歩き、自分の手で何かを実践し、大いに汗を流すしかない。肉体と魂の乖離による空論化を何とか押しとどめて、作業して結果を得て、それをより良いものにし、手がけることを可能な限り人並み以上の納得のいくものにしていく。そこで初めて何かを理解し、体得した状態となり、それを積み重ねることでやっと何らかの普遍性を見つけられるだろう。少なくとも、言葉に重みが出るはずだ。
こういう事を特に不惑前になったら強く意識していかないと、残りの人生はせいぜい消化試合になってしまいかねない。これは、他人の関心を引かねばならない小説家には特に重大な危機だろう。こうした危機は、作家にも、営業にも、ものづくりをする誰にでも当てはまる話だ。
さて、あなたはどうだろうか?
これは出版社のコラムでもある。よって、小説を書く皆さんは特に気を付けてもらいたい。その分野だけを見て摂取し続けても、つまるところ、あなたの作品がそこまで訴求せず、ファンに卒業され、やがて飽きられ、仕事にならなくなる日が来るかもしれない。
それは、あなたの望まないことだろう。そんな兆しを感じた時、この話を思い出してもらえたら幸いである。